友輝誠司 心に残る言葉をあなたに

ユウキセイジ 心に残った名言や名画を紹介しながら、心に浮かぶことを書き綴れたらなと思っています。

No.3「歳をとったことで良かったことと悪かったことはなんですか?」 映画「ストレイト・スートリー」より

 

「歳をとったことで良かったことと悪かったことはなんですか?」 
「そうだな、良かったことは、正しいものと、
 そうでないものを見分けられるようになったことかな」
「悪かったことは、忘れようと思っても
 若い頃の出来事を忘れられないということかな」

             映画「ストレイト・スートリー」より

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 前から見たくて、でも忙しくてなかなか観ることが出来なかった映画
「ストレート・ストーリー」を先日DVDを借りてきて観ました。
 監督はあの「ツイン・ピークス」や「マルホランド・ドライブ」を
作ったデビット・リンチ監督なので、さぞや難解でおどろおどろしい
映画と思っていたのですが、映画はまったく予想もしなかったもの
でした。
 つまり本当にストレイトな映画だったのです。
 もちろん主人公の名前がストレイトだったから、この題名なので
しょうが、ストレイトというのは、彼の性格もストレイトだったか
らなのでしょう。

 もう70歳を超えているストレイトは早くに妻を亡くし、娘と二人で
アイオワ州ローレンスで暮らしていましたが、両足がうまく動かず、
二本の杖を使わなければ歩くこともできませんし、バスにも乗ること
ができません。もちろん車の運転も何年も前に諦めなければなりませ
んでした。何人かいた子供たちもみな巣立って、一人娘だけ残ってい
るのは彼女が少し頭に障害があったからです。

 そんなある日もう10数年前からつまらないことで仲たがいしていた
兄が脳卒中で倒れたという知らせが来ます。手術は成功したが予断を
許さない状態です。そこでストレイトが考えたこと、それは兄が死ぬ
かもしれないという状況の中で、どうしても死ぬ前に会いたいと考え
たのです。

 しかし兄は560キロも離れたウィスコンシン州マウント・ザイオン
というところに住んでいます。いろいろ考えたストレイトが出した結論
は芝刈り機で兄のところまで一人で行くというものでした。一人娘は
鳥の巣箱を作る程度のことは出来ますがもちろん車の運転などはできません。
一畳程度の四角い小屋を荷車の上に取り付けて、それを一分間に20メー
トルぐらいしか進まない芝刈り機に結び付けて出かけるところから映画
は始まります。

 そしてその旅がどういものであったかは、これから観る人のために多くは
語りません。もちろんロード・ムービーですからいろんな事件がおこり
ます。その一つ一つの乗り越えながらストレイトは進んでいきます。兄の
家に続く道も真っ直ぐな一本道が多いです。広大なこのアメリカ大陸の
まっすぐな一本道も題名とかかっているのでしょう。

 行く先々で起こる様々なエピソードの中の一つに、若者たちとキャンプ
した夜にその若者から次のような質問がされるのです。
「歳をとったことで良かったことと悪かったことはなんですか?」と。
 ストレイトは考えながら次のように答えます。
「そうだな良かったことは・・・
 正しいものと、そうでないものを見分けられるようになったことかな」
「悪かったことは・・・
 忘れようと思っても若い頃の出来事を忘れられないということかな」
というものでした。

 歳を取ると様々な昔のことを忘れていくのかなと考えていた僕には
なぜかこの言葉が心に強く残りました。
「時が薬」という格言があります。「辛いことや悲しいことも時がいつか
癒してくれる」という格言です。そしてそれは事実だと自分の人生と照らし
あわせても納得していたのですが、ストレイトは「忘れられない」と言い
ました。

 この言葉がどれほど思い意味をもっているかは是非観て考えてほしいと
思います。
「忘れられること」もあるけど、でも「忘れられないもの」を胸に秘めて
生きていくということもまた人の生きる道なんだなと深く深く考えました。
 狙撃兵だったストレイトには忘れられない過去がありました。たぶん
死ぬまで忘れられないことだと思います。切なくなりました。それでも
人はまた夜明けとともにカーテンをあけて生きていかなければいけません。

 ラスト・シーンはそれぞれの人がいろんな思いを持ちながら自分の
思いを膨らませればいいと思います。
 すごいアクションも大掛かりなセットもなんにもない普通の映画ですが
大切なものをたくさんもらいました。

 

No.2 「人間は人に与えたものしか、あの世には持っていけない」 映画「バベットの晩餐会」より 

デンマークの海辺の小さな村が舞台です。
デンマークの映画なのでハリウッド映画に慣れている我々には
入りにくい映画かもしれませんが
少し時間が経つといつのまにか映画の世界に入り込んでしまいます。

この村の教会の神父様には美しい二人の娘がいました。
娘は父の布教のために力を貸し、婚期を逃してしまい
父の死後も教会を守って布教活動やボランティア活動を続けていました。

それでもそれぞれの娘には過去に結婚にまではいたらなかったけれど
甘酸っぱい恋の想い出があり、二人ともその切ない思いを心に秘めて生きていました。

そんな二人のところに突然バベットという女の人が現れ
家政婦としてここにおいてほしいと願い出ます。
二人は「あなたを雇うほどのお金を私達はもっていません」と言うと
バベットは「お金はいりません、ただ寝るところとわずかな食事さえ
いただければそれで結構です」と。

そして謎の女バベットは神父の二人の娘の家政婦として働き始めます。

そして僕は不覚にも、またしても涙腺が切れて、涙を拭きながら
この映画のラストをむかえました。
本当にいい映画でした。
トランスフォーマー」みたいな映画ばかりに慣れている人には
物足りない映画だと思うのですが、感じる心のある人には
たくさんのブレゼントがあると思います。

アカデミー賞最優秀外国語映画賞」というのは、「アカデミー賞」より上と僕は考えています。
というのも「アカデミー賞」は英語圏(英・米・豪)の映画のみを対象としていますが
外国語映画賞」は、言うならば「その年の世界一の映画」ということになるのです。
バベットの晩餐会」はこの賞に輝きました。
この映画をいい映画と感じられる感性が僕の中にあることを嬉しく思いました

バベットが家政婦として登場した後の映画の内容については
これから観る人のために言いませんが、映画の後半に次のようなセリフがあります。
「人間は人に与えたものしか、あの世には持っていけない」と
もちろん与えたものというのは物品ではありません。
思いやりや温かい心のことを指しているのだと思います。

どんなに巨万の富や名声を得たとしても、それはあの世には持っていけない
という話は昔からよく言われていることです。
しかしあの世に持っていけるものがある、という言葉は僕にはとても新鮮で
このいかにもキリスト経的な箴言ではありますが、そのような宗教を超えて
この言葉は僕の心に残りました。

もちろんあの世にもっていくために
人に対して何かをやってあげる、などというレベルでは

最初から話にならないのですが、結果として、人に対して、

そう、困っている人、弱っている人、悩んでいる人、苦しんでいる人
そういう人達に何でもいいから自分のできることを「してあげる」ではなく「する」
という心がいかに大切かということをしみじみと教えてくれる映画でした。

そういえば僕の大好きな映画「嫌われ松子の一生」の中でも似たような言葉がでてきました。
「人間の価値は人から何をしてもらったではなく、人に対して何をしてあげられたかなんだよ」というセリフがありました。

かっこいい言葉かもしれませんが
残った人生、なにか人のためにやれることがあったら、できうる限りしたいな
と映画を観終わってしみじみと思いました。
みなさんも今でなくていいと思いますが、いつかは観てほしい映画の一つです。

 

 

No.1 「下足番を命じたら日本一の下足番になってみろ そうしたら誰も君を下足番にしておかぬ」 小林一三

今の生活に「不平」や「不満」って
みんな結構持っていると思います。
与えられた仕事に「え?! どうして僕がこんなことを・・・」
みたいな思いが芽生えることありますよね。
そんな時にこの言葉と出会いました。

「下足番」・・・今ではもう死語になったと言っても
過言ではない職業ですが、昔は大きな旅館とか料亭には
必ず配置されていました。

人の履いた靴など触わりたくもないと誰でも思うでしょう。
しかしその仕事に心から不平不満を言わずに取り込めば
人は「おや?」と思うのでしょう。 

昔、ある友人の家に遊びに言った時
その友人は父と母とおばさんの四人暮らしをしていたのですが
そのおばさんという人が体に障害があって
結婚はしないで彼の家にずっと住んでいました。
お父さんのお姉さんでした。

一晩泊まって、翌朝帰る時、昨日結構汚れていた革靴が
ピカピカに磨かれて、きちんとそろえて玄関においてありました。
僕が「これ?・・・」と友人に聞くと
「あ、それはおばさんがやってくれたんだよ」って言いました。
「なんか自分ができることって言ったら靴磨くことぐらいしか
 できないって言って、いつも客人が来るとそうやって磨いて
 くれるんだよ」
「・・・」僕はなんだか目頭が熱くなって
そして、なんだか履くのがもったいなくて・・・


下足番をいやいややっていたら
汚れた靴を綺麗にして、その人が気持ちよく履いてもらいたい
なとどは考えないでしょう。

すべては「心」の問題なのですね。

今日の朝も目覚めることができたことに感謝し
与えられた仕事を頑張ってやることこそが
「夢」に近づく最初の一歩であると小林さんの言葉から
教わりました。

 

追記

この日までキスしたこともない47歳のおばさんが
「心」の歌を聞かせてくれます

http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0

エドさんの言葉も添えて
「人は命ある限り、
 いくつからでも、いつからでも、
 自分を変えることができる」

   エド・はるみ(お笑い芸人・女優 1964~)」